汗疱雑記

最終更新日 2011/5/21
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序文

今日は 2007年12月8日,汗疱雑記(かんぽうざっき)を書き始めた日. 発症前をゼロ合目,最も悪化したときを 10合目とすれば, 現在の状況は下りの 1合目というところだろう. あと数ヶ月で完治するに違いない. 自分ではそう確信している. 完治してしまえば,汗疱のことは忘れてしまうかもしれない. だから,今のうちに記録として残しておこうと思う. 少しでも汗疱が残っているうちに...

汗疱(かんぽう,汗ぽう,汗疱状湿疹,異汗性湿疹,手湿疹) という言葉を知ったのは,今年の夏頃である. 友人がネットで非常に似た症状があると教えてくれた. なるほど,これまで見た皮膚病の中では最も近い. それ以来,自分の手の湿疹を汗疱と呼んでいる.

汗疱を名乗る前は,低濃度の有機溶剤障害,と思っていた. 症状が各人様々という特徴があり,その一部の症状が非常に似ていた. この病名も間違っている訳ではないが,汗疱の方が症状を限定できるので, 呼び名としては相応しいだろう.

さて,ここでこの先を読もうか,あるいは止めておこうか, 迷っている読者のために,先回りして結論的なことを書いておこう 私にとって,汗疱とは何かの化学物質の体内濃度の指標である. と,偉そうに書いてしまったが,私は医者ではないし,専門的な知識もない. ただ,いろんなことを考えれば考えるほど,ここに行き着いてしまう. なぜそう導かれたかは,もっと読み進めばきっと同感してくださると思う. 我々の世代というのは,お腹の中にいるときから人類が初めて出会う化学物質を吸収し続けている. どう処理するのか,試行錯誤の連続なのではないだろうか. 汗疱の代表的な症状,水が出たり,皮膚が硬化して脱落するのは, 正に身を削りながら化学物質を排出しているように思えて仕方がない.

命に関わるほど体内の化学物質の濃度が高まっても全く皮膚病を発症しない人がいる一方, 健康に害がないほど低濃度でも皮膚病を発症する人がいる. だから,皮膚病が出たこと自体を絶望的に悲観する必要はないと思う. もしかしたら,汗疱の人は内臓が綺麗なのかもしれない. というのはただの想像だが,そういう可能性もゼロではない. それはさておき,汗疱体質の人にとって, 発症しているときよりも,発症していないときの方が体調が良いことは間違いない. 発症すれば,見た目は悪いし,痛みはあるし,痒みもある. 良いことは皆無なのだから,治る方が良いに決まっている. 汗疱は生活環境を直せば必ず治ると思う. 小生の駄文が,汗疱でお悩みの人に少しでもお役に立てれば幸いである.

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kanri@shukusatsu.com

汗疱発症前までのこと

私の汗疱は,ある職場でアルバイトをしたことが最大の原因だった. ここでは,そこで働くまでのことを簡単に書いておく.

テニスは週に1回程度していた. アルバイトは,2種類やっていた. 一つは,早朝駅構内のキオスクに新聞の束を運ぶ仕事で, 勤務時間は,03:00 ~ 06:30 で,週に 2~3回程やっていた. 結構運動量はある. このアルバイトとテニスで,私は人並み以上に汗を掻いていたことになる. もう一つのアルバイトは電話のオペレーターで, 勤務時間は 16:30 ~ 22:00,週に 2 回出勤していた. これは車通勤か自転車通勤で, 前者の場合はほとんど汗を掻く機会がない. 電話の前に座りっぱなしで空調も効いているためだ. 片道約 7km で,坂はあまりないので, 自転車でも大した運動にはならない.

2006年3月某日,小笠原諸島に旅行に行ったのだが, 確か出発の直前に少し手に湿疹があったことを記憶している. 直径 1cm もなく,1 個所だったのであまり気にしてなかったが, 中学生のとき以来だったので,子供のときにできた湿疹を思い出した次第だ. この湿疹は,旅行中に完全に消えてしまった. そう,ここまでは問題なかった. 一つ言えることは,例のアルバイト以前にも汗疱の芽があったということだ. その理由は未だに分からないが, 朝とか昼間から飲んでいたビールなどが怪しいと言えば怪しい.

3月21日が,例のアルバイトの初出勤日であった.

上りの1合目まで

2006年3月21日の初出勤の後,そのアルバイト先に通うようになった. アルバイト以外に,閑散とした自営業という仕事もあり, 3つのアルバイト掛け持ちは当然無理である. 睡眠障害の原因であった,早朝の新聞のアルバイトを辞めた. これで快眠できる生活が始まったわけだが, このときから汗疱の進行が密かに始まっていた. そして,汗を掻く機会が一つ消えた.

その職場は,光学機器の組み立てをする町工場だった. レンズを綺麗に拭いて,組み上げた後,微調整をする. 職場の人数は,社長,次男,三男,それから私で,合計 4人であった. 社長は 68歳で,三男氏ともそれほど年齢は離れていないようであった. 約 1年間働くことになるのだが,遂に社長以外の年齢を聞くことはなかった. ちなみに,当時小生は42歳だった.

この職場は自宅の一室にあり,社長一家はその家に住んでいた. 少し働いて分かったことは,非常に病人の多い家ということ. 社長夫婦と娘夫婦と小学校 1年生の孫 1人で,合計 5人が住んでいたが, 子供を除いて全員病気であった. 症状は全員違うが,あまりにも病人が多過ぎる. 最も病気を沢山保有していたのが社長だが, 私に語った病気を以下に挙げておこう. まず,首の骨に血が溜まったこと. それから,眼底にも血が溜まったとのこと. この病気に関しては,東大病院まで治療に行っていた.

薬を飲む必要があるほどの高血圧とも言っていた. お腹の調子は常に悪く,水のような便が出るとのこと. 足の裏に皮がベロベロ剥けるが,菌は見つからなかったので水虫ではないとのこと. 実際に見たことはないのだが,これは汗疱の可能性がある. 家族同士の会話を聞いていると,近所の医者の話が異様に多かったのは, 要するに病人が多かったせいだろう.

娘婿は私が行くまでその職場で働いていたわけだが, 諸般の事情でサラリーマンに戻ってしまった. 詳細は分からないが,私に仕事を引き継ぐのがとても嬉しそうだった. サラリーマン復帰後,若夫婦と孫は家を出て, 他のアパートに引っ越した. そのへんの詳細な事情はよく分からない. 上りの 1 合目は,8 月頃到達した. 初期の汗疱の進行は遅かった. 最初は,左手の人差し指だけ湿疹ができたように記憶している. その後,少しづつ拡がった. 6月に 10日間ほど八重山諸島に旅行に行ったのだが, このときに一時的に完治してしまった. 私の趣味の一つが南の海で素潜りをすることなので, 旅行中はほぼ毎日海に潜った. これが汗疱を退治してくれたわけだ.

8月までは,汗疱もそれほど拡がらず,痒いこと以外に不具合はなかった. この期間の勤務時間を列記しておくと, 4月20日までが 107時間,5月20日までが 98時間,6月20までが 107時間, 7月20日までが 66時間,8月20日までが45時間であった.

上りの9合目まで

9合目までは早かった. 11月までに到達した. 秋になってから急激に汗疱が悪化したのだ.

3月からバイトを辞めるまでの期間は,私の人生で最も汗を掻かなかったときだろう. 自宅から光学機器のバイト先までは,歩いて30秒程度しかない. 平日は,これと電話オペレーターのバイトをしていたわけだが, 仕事中に汗を掻くことはほとんどない. 私の家には,今時珍しくクーラーがないのだが, 昼間全く汗を掻かないと,夜暑くても汗が出なくなる. 夏の暑い日に運動をしても,最初の数十分は汗の出が悪く, しばらくすると思い出したように汗が出てくる.

この頃の平均的な平日の行動を以下に記す. 月曜と火曜と金曜は光学機器のみで, 10:00 ~ 12:00,13:00 ~ 18:00 の7時間勤務だった. 水曜と木曜は,10:00 ~ 12:00,13:00 ~ 15:00 までが光学機器で, 17:00 ~ 22:00 までが電話オペレーターのバイトだった.

光学機器の仕事の内容であるが, 私は調整の方だったので,直接有機溶剤に手で触れることはなかったが, 隣でレンズを拭くのに溶剤を使っていた. アセトン,エーテル,メチルアルコール類等の混合液とのことだが, 元請から支給されているので,詳細は不明と社長は言っていた. それから,私が非常に気になったのは,床下に溶剤を保管していたことである. 倉庫代わりとしていたのだが,24時間,作業室には溶剤が進入して充満していたことは間違いない. 床の蓋を開けると,強烈な匂いがすることがあった. 光熱費を削減するためだろうが,換気をほとんどしていなかった. 荷物の出し入れとか人の出入りのときだけ,止むを得ず換気をしていた,という状況だ. 埃が舞うのを避けたかったこともあるだろう. 発煙タイプの害虫駆除もやっていたとのことだから, 新たに化学物質が合成されていた可能性もある.

9月頃になると,常時人差し指,薬指あるいは中指にヒビ割れを伴う汗疱があり, 指を完全に伸ばしたり曲げたりするのが困難になっていた. 常にどこかでヒビ割れか水か血が出ているような状況だった. 10月には 12日間ほど八重山に旅行に行き,ほぼ毎日海に潜った. そのお陰で汗疱は綺麗になくなったが, 戻ってきたらほんの数日で元に戻った. 6月のときはこんなに早く汗疱が復活しなかったので, 病状は徐々に進行していたのだろう.

11月頃になると,夜時々していたジョギング中に膝の痛みを感じるようになる. 走っている時間は 30分程度で,総じてこの時期の運動量は少ないのに, なぜ膝が痛くなるのか不思議であった. 結局,これも症状が悪化していることを示していたのだった.

この頃の光学機器のバイトの勤務時間は, 9月20日までが 70時間,10月20日までが 57時間,11月20日までが 116時間であった.

10合目~最悪のとき

2006年12月から 2007年2月26日にバイトを辞めるまでは, 今回の汗疱においても,そして私の人生においても最も体調の悪かった時期だったであろう. 汗疱の悪化に伴い,様々は健康被害が出てきたのだ. この時期が10合目になる.

汗疱の状態だが,両手の 親指と小指を除く6本の指は常に少し曲がった状態だった. ヒビ割れが常に指のどこかにあり,完全に伸ばすことも深く曲げることもできなかった. 風呂とかで漬けると大体曲げ伸ばしが自由にできるが, 乾いてしまうとすぐ元に戻ってしまう. 水泡は常にどこかに存在し,破れて水が出たり,カサカサに硬くなったりを繰り返した. 外出するときは,血と水泡とヒビ割れを隠すために,指に包帯を巻くのが日常になった. 指に何かが触れるだけでも痛く,指に力を入れることは困難だった. 稀にだが,水泡が数ミリに膨らみ,破れて黄色い膿が出てきたこともあった. 汗疱の範囲が拡大し,指からはみ出て掌の方へ拡がっていった.

それから,汗疱に付随して体に不具合が発生した. その一つが関節痛である. 膝,足の付け根,腕の付け根などであった. 足の付け根が痛くなるのは生まれて初めての経験だったし, 痛み方も以前のものと異なっていた. 私が経験したそれまでの関節痛は,使い過ぎたり,大きな負荷がかかって起きていた. 例えば,テニスをやり過ぎて手首とか肘とか膝を痛めた. 動かさないで安静にしている方が快方に向かった. ところが,今回のは逆. 動かさない状態から動き出すと痛む. ゆっくり動かしていると,痛みは和らぐ. 座った状態から立ち上がると足の付け根, 車の運転から降りるときに膝, 朝,布団から起き上がるときにあちこちの関節. こんな感じであった. 朝起きるときに間接が痛いというのも初体験だった. なぜか,比較的内臓に近い関節が痛くなったような気がする. 膝の痛みがひどくなり,歩くことは可能だったが, 走ることが出来なくなるほど悪化した. これで,数少ない汗を掻く機会がまた一つ失われた.

間接痛とは別に,体の一部に痛みが走ることがあった. 場所は決まっていて,左足の太ももと左の脇腹であった. 痛いのは 1 ~ 2 秒で,すぐに治まるのだが, ズキンっと電気でも流されたような嫌な痛みだった. その後,汗疱の改善するに従い,この痛みはなくなったので, やはり汗疱絡みと考えてよいだろう.

便の状態が異常になった. 通常でも,便秘でも,下痢でもない. 今まで経験がない便であった. 便意自体も全然変わってしまった. 汚い話なので,この話はここまでにしとこう.

酒に弱くなった. 実は,2月6日,居酒屋で気を失って救急車を呼ぶ騒ぎを起こした. 救急車が到着した頃には直ってしまったので,大事には到らなかったが, ビールをジョッキでたった 2杯飲んだだけであった. 目の前が急に暗くなり,耳が聞こえなくなり, 立ち上がって帰ろうとしたら倒れたらしい. 医学に詳しい従兄弟によれば不整脈というものらしい. 気分が悪くなったら,動かないのがいいとのこと. 私は心臓に持病はないし,20年以上,ほぼ毎日のように酒を飲んできたのに, こんなことは一度もなかった.

汗疱の症状が悪くなってから,あることに気が付いていた. 夜,手が痒くなることが多いのである. 昼間とか午前中に痒くなることはほとんどなかった. しばらくして.さらに気が付いたことは, 酒を飲んでからしばらくすると痒くなるということ. 夜でも酒を飲む前には痒くならないのだ. ほぼ間違いなかった. だから,1月のいつ頃か忘れたが,それまでほぼ毎日飲んでいた酒を, 飲まない日を設けることにしていた. 酒を飲まない日は痒みが少なく,一時は一連の体の不調の原因は酒かと思ったこともあった.

救急車事件以来,禁酒を本格的に始めた. 手帳を見る限り,あれ以降 2月10日以外,2月は酒を飲んでいない. 書き忘れがあると思うが,ほとんどの日は禁酒デーだったのは間違いない. 酒を減らすのは,初めは効果があったが,2月の後半になると,汗疱がまた悪化してきた. それに,バイト後に体がだるく,30分以上椅子に座って何も出来ない状態になってしまった. 仕事中に頭痛がするし,朝起きると気分が悪い. 私は頭痛というのはあまりなかった方だし,朝死にたくなるような気分も過去の記憶にない. 特に金曜の夜がひどく,月曜の朝に少し回復する気がした. もう限界だった. 生命の危険を感じた. 2月26日を最後にバイトを辞めた.

この頃の勤務時間は,12月20日までが 75時間,1月20日までが52時間,2月20までが 85時間であった. 2月26日を境に,徐々に汗疱及び体の不具合は快方に向かうことになる.

頂上から5合目へ

バイトを辞めてから,汗疱も快方へ向かった. 頂上から下り道に入ったわけだ. 最初の回復は早かった. 汗疱の範囲が明らかに縮小していった. 5 合目まで下ったのが 5 月くらいだと思う. 汗疱以外の体調不良を含めて,症状が半分くらいになったのがこの頃だと思う.

膝の痛みが少なくなってきたので,ジョギングを再開した. 手帳に記録が残っているのが 5月からだから,おそらく 4月くらいから少しづつ再開していたはずだ. 膝の痛みが残っていたため,アスファルトを避け,わざわざ河川敷まで車で行ってジョギングをした. 8 キロを 1時間ちょっとかけて走った. 体調が悪いときは,6 キロ,良い時は 10キロ走った. 目的は汗を掻くためだ. 去年の分も掻こうと,できるだけ多くの日に走った. 5 月は,10回走った.

この 5合目あたりだと,膝はまだ痛かった. 汗疱は,水泡が減り,範囲が縮小していたが, むしろ指先が痺れるような感覚が増して, 皮膚がポロポロ脱落する量が増え, 爪に段々が出来たりした. 机で字を書いたり,キーボードを打っていると, あっという間に白いものが散らばっていた. 汗疱自体は明らかに良化しているのであったが, 一見悪化に向かっているような症状もあったわけだ.

今思うと,汗疱が悪化いているか,あるいは良化しているかの判断は, 汗疱の面積が広がっているか否かで判断するのが一番適切なのだろう. 汗疱は周期的に外見を変えていくので,外見だけでは良い方向に向かっているのか否か判断が難しい. 皮膚がポロポロ落ちるのは,一見悪化しているようにも見えるが, 実は良くなっている証なのだと思える.

酒の方だが,5 月はあまり飲まなかった. 4 月は週に 3回くらいなぜか飲んでいる. 汗疱が良くなって,調子に乗っていたのかもしれない. 酒が痒みを誘発するのは相変わらずだったが, 今度は酒を飲まないときに痒くなることが増えた. 例えば,コーヒーを飲むと痒くなったりした. ポテトチップも駄目だった. 酒以外でも汗疱に悪影響を与えるものが見つかってきたのだ. たまに寝ているときに強烈に痒くなることもあった.

痒みというのは,水泡が皮膚の表面に集まってきて, いよいよ外に水が出そうなときに起きる. だから,痒いところを掻けば必ずと言ってよいほど水が出てくる. お酒はその切欠になるのだろう. だから酒を飲まなければ,その他の切欠で痒みが出るのだろう. 時間の問題で,いずれ痒みがやってくるのだと思う.

ところで,痒いときに掻かなければどうなるだろうか? 恐らく,皮膚が硬くなって皮膚が脱落するという形で水の中身を排出するのだろう. 水とそこに溶けているものを早く排出するためには, 少し掻いて水を出してしまう方が,個人的には良いと思う. 乾燥して硬化するまで待つと,それだけ余分に時間を要することになる. ただし,血が出るほど激しく掻くのは良くないだろう.

このときは楽観視してて,9月くらいには全快すると思っていたが, ここから回復のスピードが落ちていく.

5合目から1合目までの下り

5 合目から 1合目までは長い道のりとなった. 6 月から 12 月まで,約半年もかかった. ジョギング中に膝の痛みをほとんど感じなくなったのも, 便の調子がほぼまともになったのも,11月頃である. 中指の関節が膨らんでいたのが取れたのもこの頃である. 中指はヒビ割れが最もひどかった指なので,おそらく水が溜まっていたのだろう.

汗疱(かんぽう)の症状は,5合目から 1合目までは一進一退でゆっくりと良化していった. 以前は酒を飲むと数十分後に痒みが出ることが多かったが, 汗疱が良くなってくると数日後に水泡が出たり,痒くなったりした. 酒の影響が以前よりも遅れて出るようになった. 汗疱が良くなればなるほど,酒の影響が出てくるのが遅れてくるようである. 汗疱が良くなると,つい酒を飲み, 数日後に後悔,ということを繰り返した. 2007年12月の時点で,酒は週に 1 回以下になっている. 大学を卒業以来,ほぼ毎日飲んでいた酒が, 汗疱のお陰でほぼ止めることができたわけだ. 禍を転じて福となしたわけだ.

7 月に 8 日間ほど南の海に旅行に行った. 汗疱になってから 3回目の南の海だ. このときは慶良間諸島に行った. やはり旅行中は汗疱がほぼ消えたが,戻っていたらすぐ元に戻った. まだ先は長いということを暗示していたのだろう.

夏の暑い時期,足に汗疱ができた. 指と踵の内側であった. 手の方が良くなっているのに,なぜ今ごろと不思議であった. 夏は風呂を沸かさない.シャワーだけだ. もしかしたらこれが影響しているのかもしれない. 秋になって再び風呂を沸かすようになったが, 風呂に漬かるのは,汗疱退治に効果があるようである. 風呂を沸かし始めたら,いつの間にか足の汗疱は消えてしまった. 風呂に漬かっている時期の方が汗疱が良くなるような気がする. 3 月と 4 月に汗疱が急激に良化したのは, もしかしたら風呂のお陰かもしれない. 海に漬かるのは抜群の治療効果があるが, お湯でもかなりの効果があるのかもしれない. 夏の間,シャワーではなく,湯船に漬かっていれば,もっと早く治っていたかもしれない. ただし,プールには治療効果がなさそうだ. 消毒しているせいだろう.

ジョギングは継続していた. 6 月は 20回,7 月は 15回,8 月は 19回,9 月は 16回,10 月は 16回,11 月は 12回,走った. 暑いときこそ汗を沢山掻けるので,そういう日はできるだけ走るようにした. 光化学スモッグが出ても,熱中症で死亡者が出ても,走った.. 汗疱対策で始めたジョギングだが,いつの間にか趣味になってしまった.

ある夏の暑い日,バイト先の社長と偶然出くわし,話をした. 二男さんが,酒を飲めなくなったとのこと. 二男さんは酒が趣味みたいな人だったので,相当体調を崩したのだろう. それから,三男さんの体調が悪いとのこと. 仕事があまりできない状態らしい. 三男さんは,以前は飲んでいたそうだが,私がバイトを始めたときに, 既に止めていた. 飲むと指が震えるとのことだった. 社長と初めて会ったのは,2003年か2004年だったと思うが, そのときは夫婦でガブガブ飲んでいたように記憶している. それが,奥さんはほとんど飲まなくなり, 社長もチビチビしか飲まなくなっている. 私は,「絶対」と言ってもいいほど, あの作業部屋に充満する化学物質がみんなの健康を害していると確信している. 生活費を得る為とはいえ,ここまで健康を害してまでやるものか,甚だ疑問である.

さて,1 合目から麓(ふもと)まで戻るのにどれくらいかかるだろうか.

下山前夜

2008年6月初旬. 一合目宣言をしてから,約半年が経つが, 未だ完治はしていない. 治れば治るほど,回復が鈍くなるが, この数ヶ月は本当に遅い. 5月24日の写真を見ると, その症状の度合いは最悪時(10合目)の1/20以下と言えるので, 一合目宣言が間違っていたとは思わない. あまり経過報告の間隔が空くのも問題なので, ここらで中間報告を書いておこう.

例によって,悪化と良化を繰り返しながら, 徐々に良くはなっているのだが,一瞬たりとも完全に汗疱が消えたことはない. 左手はわずかしか残っていないが, 右手の方はまだまだだ. ここらで南の海に10日間ほど漬かれば一時的に完璧に治る自信はあるのだが, 戻ってきてから再発しない自信はない.

汗疱が少し悪化すると,便も少し異常になり, 膝も少し痛くなる. いずれにしても,以前の比ではないほど軽いのだが, 全体の症状が軽くなってからの方が, これらの相関関係があることが明確に感じられる.

便の方だが,こちらも未だ元の調子には戻っていない. 回数が少ないし,行きたくなるタイミングも違う. 以前は,食後に行きたくなることが多かったが, このところ食後に行くことは稀である. やはり,汗疱というのは内臓の具合と関連があると思う.

爪のことを書いておこう. 凹凸の写真を載せているが, ちょうどあの凹凸が先端に近づいて以来, 爪が柔らか過ぎて伸ばせなくなった. 2月の下旬頃からだと思う. 親指を除く全部の指の爪が柔らかい. 要するに,汗疱になった指の爪が柔らかい.

どれくらい柔らかいかというと, スルメくらいではないだろうか. 爪切りは不要だ. 親指の爪で簡単に削れるし, 髪の毛を洗う等の日常の動作で磨耗しているようだ. もし,伸ばそうとしても,すぐに折れてしまうだろう.

爪切りの手間は省けるが, こんなに爪が柔らかいのは, 物心付いて以来初めてだろう. まあ,根元の方の爪は真艫そうなので, 秋くらいには元通りになると思う. 汗疱もその頃までには完治しているはず,なのだが...

下山

2010年2月7日 吉日. ここで,汗疱に関して下山したと宣言させていただこう. 観察力の鋭い読者が写真を見れば, ほんのわずかだけ残っているのを見つけるかもしれない. ただ,以下の理由により,汗疱自体はほぼ消滅していると考えてよいと判断した.

この数ヶ月間,水泡が出てないし,手の平側には汗疱が全く出現してない. たまに飲酒したり,お菓子とかインスタント食品を食べたり, 外食したりしても,手が痒くなることがない. 汗疱の症状も範囲も,ほんの僅かづつであるが,快方へ向かってきている.

「下山前夜」から約 1.5 年経過. 例のアルバイトを辞めてから,約 3 年経過. 予想より大幅に遅れての下山. でも治ったことを素直に喜びたい.

爪が柔らかいのは相変わらずだが,徐々に硬くなってきているように感じる. 汗疱以外については,後日ご報告としたい. とりあえず,やっと下山...

下山後

2010年11月中旬. 久々の書き込み. 汗疱の方はまだ少しだけ居残り. なかなか消えず. まぁ少しくらいならご愛嬌ということでいいかもしれない. 効用もある.センサーとしての役割があること. 外食が増えると悪化し、自炊が多ければ良くなる. かなり正確に反応してくれる. もし完全に治ってしまうと、食の乱れに気付くのが遅れてしまうと思う.

ガイショクの中でも、格別影響があるのがカレーと菓子パン. 牛丼とインスタントラーメンは上記の 2点と比べると影響が小さいようだ. 自炊が最も良いことは間違いない. 近日中に汗疱対策食のご紹介をする予定.

進展があったのは、爪. 先月、久々に手の親指と人差し指の爪を爪切りで切った. 右手の爪を左手の爪でむしれないほど固くなってきたということ. 爪切りという道具で手の爪を切ったのが何ヶ月振りなのか把握できない. 1年か、あるいは 2年だろうか. 関節の痛みはないし、消化器系も以前の状態に戻った. 書き込みのネタが少なくなってきたのは、 完治の前兆ということだろうか.

小生の皮膚病とアレルギー歴

小さいときからアレルギー体質であった. 物心付かないときは,喘息と湿疹がひどかったらしい. まだ歩けない頃の写真を見ると, 湿疹のせいで髪の毛が全然ない時期もあったようだ. 喘息は全く記憶に無いが,あったらしい.

小学校のときの健康診断では,鼻炎と結膜炎に毎年のように引っかかり,医者通いをしたが, 全く治療効果は無かった. 医者も大した治療はしなかったので,こずかい稼ぎ程度でやっていたのかもしれない. 小学校 3~4 年生くらいだったと思うが,手の湿疹が酷かった. 症状は汗疱(かんぽう)とソックリだが, 一番今回の汗疱と異なるのは,水泡があまりなかったことだろうか. 小学校のときは,水泡があまり記憶にない. これも記憶が薄いのだが,この時期は最もプラモデルを作っていた時期だ. 塗装もするようになっていたため,有機溶剤を相当吸い込んでいるはずだ.

中学校のときにも汗疱らしきものが発症したことがあった. このときは,ラジオを作ったりすることに凝った時期だったと記憶している.

高校のときはアレルギーとは無縁だったが, 大学生のときに花粉症が出始めた. このとき以来,毎年春は花粉症になるようになった. 症状と酷さは,毎年微妙に異なり, 幸いなことにこの 2年(2006~2007年)ほどは軽症である.

最近,石油をベースに作られるものを出来るだけ飲み込まないように心掛けている. レトルト食品などは全く論外の食べ物だが, 化学調味料もできるだけ胃の中に進入しないように注意している. 味噌は無添加で,味の素は買わず, 「アミノ酸」を含有している食品はできるだけ買わないようにしている. 外食もするので,完璧に排除することは不可能だが, 自炊のときは努力次第で 随分減らすことは可能である.

もし,将来小生の花粉症の症状が緩和していくとすれば, 上記の食事改善によるものだと思う. あと数年で結果が出るだろう.

ある二人のお医者さんとの会話

皮膚科ではないが,汗疱を2人の医者に見てもらい, 短い時間だが汗疱に関する会話をしたことがある. 大したことではないが,一応載せておきたいと思う. 小生が何を言いたいのかは,読者の判断に任せたい.

一回目は,2007年4月17日だった. この頃は汗疱の状態も悪く,誰が見ても湿疹がひどいと感じただろう. この日,特に大きな理由はなかったが,献血をしに行った. 献血は,これまでも年に約1年くらいは行っていた. 敢えてこのとき行った理由を挙げるとすれば, 成分検査をしたかったことだろうか. コレステロールとか,中性脂肪とかだ. それから,悪い血を少しでも出してしまいたいという気持ちも若干あったかもしれない.

最初は順調だった. 採血の履歴などを電子化するために献血手帳を作り直し, 血液の比重を計って,無事クリアーした. ただその後,何かの拍子で汗疱を見られてしまった. 白衣を来た中年の女性が, 「どうしたんですか,その手! 問診の先生に見てもらいましょう.」, と慌てて奥の方へ走り去った. しばらくしてから,個室に連れていかれ,医者と面談があった. 手のことは既に聞いていたらしく, いきなり手を見始めた. そして,いきなり触り出した. あまりに触るものだから,ホモッ気があるのかと思ったりした. ただ,もう一つ驚いたのは,この皮膚病が転移する心配が全くないように触ったことだろう. 見た瞬間に,これは移らないと判断したように思えた. そうでなければ,触らないはずではないだろうか. 数十秒後,献血は取り止めとなった. 理由は詳しく言わなかったが,私の方から一つ尋ねてみた. 「有機溶剤が原因の可能性はありますか?」 返事は,その可能性はあるが,まずは皮膚科に行ってください,だった.

二回目は,2007年9月22日の健康診断だった. 採血とか検尿の後,最後に医者との問診があった. どこか体調に問題はないかと尋ねてきたので, 手の湿疹を見せた. 医者はすこし驚いたように見て, 患部を触ろうとはしなかった. それから,私は聞いた. 「バイト先の有機溶剤が原因だと思いますが,そういうことはあるでしょうか?」. 医者は,答えた. 「その可能性はあるね.まず皮膚科に行って診てもらってください.」

お医者さんというのは頭も勘も良い人が多いだろうから, 汗疱を見て何かを感じたのだと思う. そして,二人ともその本質的なことを私には話さなかったように感じた. それは推測するしかない.

汗疱に関する医者との会話は以上で終わり. 蛇足だが,2008年1月31日,献血にチャレンジした. 汗疱も随分治り,今回は自信があった. 問題なく 400cc の献血を終えた. ただ,途中で,「なぜ前回献血できなかったか覚えていますか?」,と尋ねられた. 私は手を見せながら,ほとんど治ったことを伝えた. このときも医者との問診があったが,手をチラッと見せただけだった.

ある床屋での会話

まだ野外のプールが営業している頃だったから,2007年の 8月だったと思う. QB ハウスという 1000円の床屋へ行ったときの話. この頃はまだ見てすぐ分かるほど汗疱が残っていた. 私の髪を切ってくれたのは,30歳くらいの男だった. 散髪中は手がマントの下に隠れる為, 担当の人は汗疱を見ていなかったと思うが, 私が異常に日焼けしている話から, 炎天下でジョギングしていることと, 7月に南の島で素潜りをしてきたことに話が飛んだ. そして当然のように,汗疱対策のためにジョギングをしていることと, 海水に漬けることが最高の治療効果があるということを説明した. それからまた当然のように,自分の手を見せた. 偶然,その担当者自身が汗疱らしきものを患っていたので, 話はさらに盛り上がった. 彼の汗疱は,パーマ屋か床屋で働き出してから発症したそうである. そして,QB ハウスで働くようになってから,症状が軽くなっていったとのこと. QB は頭を洗わない. 掃除機で吸うのだ. 髪を染めたり,パーマをかけることもしない. 薬品が手に触れる機会がほとんどない. 彼の症状が軽減したのは,そのせいだと思う.

数ヶ月が経ち,私は同じ QB へ行った. その彼はいなかった. それから,2008年1月31日,また同じ QB へ行った. また彼はいなかった. 私は,汗疱のほとんどなくなった綺麗な手を彼に見せびらかしたかったので, 落胆してしまった. 仕方なく,その日の担当者にその彼の風貌とかを言って, 辞めてしまったのか聞いてみた. そしたら他の店に行ってしまったとのことだった. そこでその彼に,「彼に会う機会があったら,手の湿疹がこんなに綺麗になったと伝えてください」, と頼んでおいた. そこで自分の手を見せたのだが, その人も以前手の湿疹で困った時期があると話し始めた. QB で働いてから治ったらしいが, それまでは塗り薬を塗ったり,手袋したり, 随分苦労したらしい. その人は,30代後半くらいの男性だった. 床屋業界では,手の湿疹は当たり前のこと,とも言っていた.

以上の床屋での会話から何を導けるだろう. 汗疱は,化学物質に触れれば触れるほど悪化する, と言うことは言い過ぎだろか?

推奨する治療法

私と同じような原因で汗疱を発症した場合の治療方法について書いてみたい. 決り文句だが,実施される方は自己責任でお願いしたい. 小生は一切の責任は負えませんので,あしからず. まあ,極めてソフトな治療なので,副作用はないはずだが...

まず取り組まないといけないのは,原因となっている化学物質の体内への流入を断ち切ることである. 吸わない,触れない,飲みこまない. これが最も肝心である. 私の場合は,職場環境だったので,これを辞めるのが最大の治療になった. これは人によって様々だろう. 健康に良いと思って胃袋に放り込んでいるものが原因の人もいるかもしれない. これが見つかれば治る可能が高まるし, 見つからなければ治る見込みが低いかもしれない. 原因を見つけること,これが一番重要だ.

以下に書くことは,それだけでは大きな治療効果はない. 何もしないのに較べれば,少し早く治る程度と思っていただきたい. もし原因物質の流入を止めずに以下の対策を実施しても, まさに「水泡」に帰す,だろう.

海水に漬けることは,外見を短期間で改善することに関しては絶大な効果がある. 南の海で潜れば,一日数時間は海水に漬かることになるので, かなり時間のかかる方法でもある. メカニズムに関しては,想像になるが, 指先に集合した「水」を体外に排出してくれるのだろう. 大体,1週間毎日潜れば,汗疱は姿を消す. ただ,これはあくまでも外見だけであって, 実際には体内に「水」が残っていて, 完治したわけではない. 内地に戻ってくると,ほんの数日で元の汗疱に戻ってしまう. もっと長期間,例えば数ヶ月海に漬ければ,あるいは完治するのかもしれないが, 実施したことがないのでよく分からない. 能登半島に旅行したときに,浅瀬で手だけを海水に数分間漬けたことがあるが, 全く効果がなかった. どちらかというとヒリヒリして,悪化した. 短時間では駄目なのだ.

海水と同じ原理だと思うが,お湯に漬かるのも良い治療効果がある. ただし,プールは駄目である. シャワーも少しは治療効果があるのかもしれないが, 漬ける方が効果があると思う. 時間が長いか,短いか,それだけの違いだと思う.

汗をかくのも良い. 多ければ多いほど治療効果があると思う. その分水を飲むのを忘れずに! 私の経験では,汗をかかず,風呂もシャワーもなし, というのが汗疱を悪化させる.

治療法として推奨できるのは以上である. ついでに悪化させる行為も書いておこう. 個人差があるので,あくまで私の場合と考えていただきたい.

酒,コーヒー,紅茶,お菓子,外食. これらは汗疱を悪化させた. 確証はないが,ビール,発泡酒,焼酎は良くなく, 高級な日本酒はあまり悪影響がなかったような気がする. コーヒーの場合,インスタントは悪影響が小さく, ドリップの場合は豆によって様々のように感じた. 洗剤が手に触れるのは勿論,悪化させる. 食器を洗うときは手袋をした方が良い. もし洗剤が手に付いたら,できるだけ洗い流すこと. 基本的に,原油が原料の化学物質は全て悪いと考えるべきだろう. 化学調味料(アミノ酸),乳化剤(界面活性剤)等が入っている食材はできるだけ避けた方がいい. もし汗疱がなくても,これらの化学物質を体の中に入れることは百害あって一利もないのだから.

汗疱を発症する年齢について

あるサイトで,汗疱を発症している年齢の集計結果が載っていた. 40代がわずか 2%で,残りはより若い年代という結果だった. (http://kanpou.nomaki.jp/06_nenrei.html) ちなみに,私は 2008 年春時点で 44 歳である. 昭和 38(1963)年生まれだ.

私の汗疱の原因となったバイト先には, 社長とその弟2人が働いていて, いずれの御仁も私の数倍の有機溶剤を吸いこんでいるはずである. 年齢は,50 代後半から 60 代前半. 手に湿疹らしきものは全くなかった. 社長が足に汗疱らしきものがあるようだったが, 私は見たことがないので詳細は不明だ. 職場では,私の手が異常に敏感ということになっていたが, 年齢的なものが影響しているのかもしれない.

話は変わるが,私が今まで出会った, アトピーが全身にあるような方を思い起こすと, 私より少し歳が上か,あるいは下の方ばかりである. 私より 3 歳くらい上までが上限で, 5 歳以上年上でアトピーの酷い人には出会った記憶がない.

上記に挙げた 3 点においては,いずれも発症年齢にある境い目がある可能性を示唆している. 昭和 35 年頃が何かの境界線になっているような気がする.

私には古い新聞を読むという趣味があるのだが, 合成洗剤とか農薬が世の中に大量に出回り始めたのが, 昭和 30 年代後半からなのだが,これに因果関係があるような気がする. なんとなくこの手の化学物質が日本人の体質に変化をもたらしたような気がするのだが, 果たしてどうなのだろうか?

汗疱という命名について

ネット上で汗疱の説明を幾つか読んだが, 汗が出なくなることが原因のような記述があった. また,汗を掻きやすい人がなると書いてあった記事もあったと思う. 私はこれは間違っていると思う. 少なくとも,私の場合は全く当てはまらない.

汗を掻くことは汗疱を改善させる,最も効果的な手段だ. 汗を掻くような行為,例えば気温が高いときに運動することは, 汗疱退治に最も効果的な行為だ.

私が思うに,汗が出なくなくから汗疱になるのではなく, 汗疱になるから汗が出なくなるのだ. 汗疱のある部位は汗が出ないのは事実. ただ,原因と現象をどう捉えるかの違いだろう.

もし,汗が出ないから汗疱になるのであれば, 汗が出るような行為は汗疱を悪化させることになるはずだろう. 汗が出るところがなくなって水泡が溜まる,という理屈であれば, 手が破裂するほど膨らむ筈だろう. でも,実際に真夏の暑いときにジョギングをすると, むしろ水泡は一時的に減る. どちらかというと,汗を掻かず,風呂にも入らないときの方が水疱が増えたように記憶している. 私の場合はそうだった. そもそも,汗の量に比べて,汗疱にできる水泡の量は圧倒的に小さく, 汗が水泡になると考えるのは無理がある. それから,汗疱がまだひどいときは, 水泡が破れて出てくる水をティシュで吸い取ったが, そのときのティッシュの匂いは汗とは全く別物だった. その匂いは,魚の内臓とか,魚が少し腐ったような匂いだった.

大した問題ではないかもしれないが, 汗が出なくなるから汗疱が発病するのではなく, 汗疱の原因となる水(体液?,溶液?)が指先に集まり, それが汗疱を発病させ,汗を出なくさせる,というのが正しい解釈だと私は考えている. 汗が出なくなるのは事実なのだから,汗疱という命名に間違いはないと思うが, 誤った解釈がウィキペディアのような有名なサイトにまで掲載されているので, 自分の意見を書いてみた. 実際に汗疱を患っている方々は,どのように感じているのだろうか...

2008年の花粉症

今日は,2008年5月の中旬. 既にマスコミは花粉症を報道しなくなっている. 今年の小生の花粉症について報告しておこう.

初めて発症したのは,大学生のとき. 20 歳くらいだから,約 24 年前になる. それまで経験がないような,大量のクシャミと鼻水が出た. それ以来,年によって程度は異なるが,症状が出た. 世間では,花粉の飛ぶ量が年によって多い少ないと言われているが, 自分に限っては,飛散量と症状はあまり相関がなかったように思う.

さて,今年だが,マスコミの報道では飛散量が多いと言われていたが, 小生の症状は発症以来最も軽症だった. 去年も比較的軽い症状だったのだが,今年はさらに改善した. 恒例のティッシュ消費もほとんどなかった. 発症しなかった,と言っても言い過ぎではないだろう. 去年までと大きく変わったことと言えば, 酒とタバコを大幅に減らしたこと, 外食を減らしたこと, 自炊するときは化学調味料を極力摂取しないように心掛けたこと, お菓子を減らしたこと,等だろうか. 要するに,汗疱対策の効用なのだろう. どれが大きく貢献したのかは証明できないが, 個人的にはタバコ以外は全て同じように貢献したと思っている.

面白いのは,今年の春,偶に実家に帰ると花粉症の症状が出てくることだろう. 残念なことに,母は化学調味料中毒と言ってもよいかもしれないほど重症. 食事では必ずと言ってよいほど, 化学調味料を含んでいる料理を出す. 本人は気が付いていないと思うが,中毒に近い状態だと思う. 合成されたアミノ酸がないと,物足りないようだ. 私が小学生の頃まで,母は料理が上手くなかった. 中学生になったころから上手くなったような記憶がある. もしかしたら,この頃から化学調味料を大量に使い始めたのかもしれない. それを味の分からなかった私は,上手いと感じたのかもしれない. それと,普段は飲まないビールだが, 実家ではタダなので飲むことも,書き添えておこう.

終わったことは仕方がない. 今は,実家で料理を食べる毎に,母を調教している. 馬の耳に念仏かもしれないが,ほんの僅かでもいいから, アレルギーの素を減らすように尽力したい.

じゃがいもポテト

汗疱の症状が重い時に,手の痒みを誘発するのに最も速効性があったのは飲酒だった. ところが,汗疱の症状が軽くなると,酒を飲んでもすぐに痒くなることは稀になった. 1 ~ 2 日経ってから,少し手が痒くなって,少し水が出る,そんな程度になった.

そして今( 2008 年夏),No.1 に踊り出たのが,じゃがいもの皮むきである. カレーなぞを作るときに皮をむくわけだが, 直後にまず間違いなく手が痒くなる. 手が痒くなるのだから,当然のように水も出てくる. ご親切なことに,一見汗疱が消えた部位にも痒みが襲ってくる. これは,かつて汗疱が巣くった部位に限られる. 見方によっては,汗疱検出薬のようにも感じる. 極薄く指の中に潜んでいる汗疱液を,炙り出してくれるわけだ.

小学生の頃,じゃがいもでアレルギーが出たことがあった. 理科の実験で,じゃがいもからデンプンを抽出する実験をしたときだ. その抽出液を触ったときに,手にブツブツの蕁麻疹が出た. 直ぐに治ったが,こういうアレルギ-反応は,このときしか記憶にない.

話を元に戻すが,このポテト効果は収まるのも早い. 大体 5 ~ 7 日くらいで元に戻る. どちらかと言えば,皮むきをする前よりも少しだけ皮膚が綺麗になっているかもしれない. だから,じゃがいもの皮むきは減らすつもりはない. 長い目で見れば,悪影響はないと思う.

一方,遅効性のものは恐ろしい. 例のアルバイトがそうだった. 特定するのが難しく,治るのに時間がかかる. 体の芯から汚染されるのだろう. 最近,プールがこれに該当することが明らかになってきた. 毎年通っていて,何を今更,ということになるが, これが遅効性のものの恐ろしさだろう. 今日は 8月下旬. 恨めしいプールの件は,次回報告する予定.

プールの影響

今日は 2008年11月下旬. 最近,汗疱の状態がようやく 7月の状態に回復してきた. 7月までゆっくりだが確実に直りつつあった汗疱だが, 8月頃から悪化に転じてしまった. 手帳のメモを列記してみよう.

8月4日:久々に左手に水泡ができて,水が出た.
8月9日:久々に両手が猛烈に痒くなる.
8月17日:久々に右手の中指の第2関節が膨らむ.
8月26日:皮膚が硬化してポロポロと沢山落ちる.

今年の夏,プールに行ったのは 3回だけ. 7月22日,7月26日,8月6日. 汗疱が悪化したため,回数券が残っていたにも拘わらず, 8月7日以降はプールには行かなかった.

皮膚の脱落がほぼ収まったのは,10日くらい前(11月中旬)だった. たった 3回のプールで,復帰するまで約 4ヶ月. 影響が大き過ぎるような気がするのだが, 他にこれとって原因らしきものが見当たらない. 例のアルバイトも遅効性だったが, この手の遅効性の要因は特定するのが難しくて, 治るのに時間がかかる.

7月22日だったか26日だったか覚えていないが, プールに行った翌日あたりに, 汗疱が少し悪化したように感じた. なんとなく嫌な予感はあった.

去年,夏の間は汗疱の回復が止まった. 湯船に浸からず,シャワーだけで済ませていたのが原因かと思っていたが, プールが原因だったのかもしれない. 去年の手帳をめくってみると,9月10日と 14日に汗疱が悪化したと書いてある. ちなみに 7月と 8月だが,悪化した趣旨のことは全く書いてない. 去年の夏は,プールに 7回行っていた.

やはり,プールは怪しい.

ミカンの季節

2008年12月初旬. 汗疱雑記も一周年を迎える. 当初,2008年春頃には完治しているつもりだったが, 予定は大幅に遅れて,未だに汗疱(かんぽう,汗ぽう)は居座りつづけている. ただ,一年前よりも今の方がはるかに状態は良い. これだけは絶対に断言できる.

一周年を記念して,少し良いネタを書こう. ソフトな治療方法なので,汗疱の方は是非試してみたらいかがでしょうか.

数週間前からミカンを食べ始めた. 先シーズンの冬,なんとなくミカンを食べると汗疱に良いような気がしていたが, 今シーズンも同じ感じがする. これは私だけだろうか? ジョギングをして風呂に浸かると汗疱が少し良くなるが, みかんにも同様の効果を感じる. 手が滑らかになるのは健康な手の人と同じだろうが, 水泡が出難くなるように感じるのは気のせいだろうか? 今年の冬の終りか春の初めに値段の安いミカンが無くなると, 汗疱の改善が止まったように感じたのは, 気のせいだったのだろうか?

春以降は,ミカンの代わりに酢を飲んだりした. これも少し効果があったように感じたが,継続することができなかった. 効果があるのに継続できなかったのは,胃が痛くなるためだ. 始めの頃は,原液で飲んでいたので,当然と言えば当然だったのかもしれない. それからほうじ茶で 10倍以上に薄めて飲んだりしたが, 食後ただちに飲まないと駄目だし, そうしても胃が痛くなることがあった. 一旦胃が痛くなると,飲むこと自体を忘れてしまったりする.

どういう理由なのかよく分からないが, 酸っぱいものは汗疱に良い方に作用するようである. 酒とかお菓子のような,悪く作用するものとは対極にある. 少なくとも,酸っぱいものが汗疱に悪く作用したということは, これまで無かったと思う.

酸っぱいものはお薦めである.

重曹

2009年4月中旬. 「じゅうそう」と読む. じゅうしょう(重症)ではない. 汗疱は相変わらず手中にある. もう劇的な回復は期待してない. 気長に付き合っていくつもり.

さて,私のように手の皮膚に問題を抱えている場合, 共通する悩みがあるはずだ. その一つが食器洗い. 私の場合,洗剤を使うときは手袋をしている. 合成洗剤を使っているので,素手のままでは恐ろしい. 石鹸系の洗剤を素手で試してみたいのだが, 5年以上洗剤を購入する必要がなかった為, 合成洗剤を使い続けている.

手袋をはめることに大きな問題はない. ただ面倒くさいのだ. 特にそのときに洗う量が少ないときは面倒だ. 鍋とかコップを1個だけ洗いたいときに, いちいち手袋をはめるのが鬱陶しい. あるとき,以前買ってあった重曹を試してみた.

別称がいろいろある. 炭酸水素ナトリウム,重炭酸ナトリウム,重炭酸ソーダ,等々. お菓子などに入れることが多いようで, 多少なら食べても問題ない.

使ってみた結果だが, 汗疱が悪くなることはなかった. 食器の汚れも落ちる. 汗疱が改善する効果は感じられなかったが, 汗疱の治療において,悪化させない行為は積極的に採用するべきだろう. 汗疱を短期間で劇的に撲滅させる方法は見つからないのだから. 悪化させる行為を除去し,悪化させない行為を取り込む. そして気長に取り組む. 汗疱の治療にはこれしかないような気がする. 重曹は,汗疱対策の一つとして採用することにした. 季節は春だが,私の手にとって,春はまだまだ先になりそうだ.

肉と魚

2009年7月中旬. 肉と魚は,動物性タンパク質の代表選手. 英語だと Animal Protein なので,以下 AP と略す. 広義だと肉と魚以外にもいろいろあるようだが, ここでは狭義で肉と魚のみを指すことにする.

この項は長くなるので,最初に結論を先に書いておく. AP の摂取は汗疱に悪影響を及ぼした, ということを長々と以下説明したい.

雑記「プールの影響」で,11月に汗疱が回復したと書いた. それは事実だが,その後どうも芳しくない. 12月頃から,ヒビ割れが常時あるような状態が続いたのだ. いくらなんでも,プールの影響がこの時期まで続くとは考え難い. 何が理由なのかサッパリ見当が付かなかったのだが, 2 回ほどヒビ割れが収まった機会があった. 最初は正月,実家に帰ったとき. 通例,実家に帰るとタダ酒を飲んでしまうので悪化することが多い. ただ,今回のヒビ割れに関しては,見事に回復に向かった. 2 回目は,1月か 2月か忘れたが,「梅干おにぎり」を数日間食べ続けたとき. このときから AP を怪しいと思うようになった.

実家で買う肉は高価である. 値札を見ると仰天することがある. 牛肉が多いせいもあるだろう. 私が買う AP は豚肉が最も多く,魚系と鳥肉が偶にという感じだった. 牛肉なんぞは,年に数えられるほどしか買わない. だから,今回の一件における AP というのは, 2/3 くらいが豚肉のことである. もしかしたら,牛肉はいくら食べても悪影響はないかもしれない. ただ,そんなテストをする金銭的な余裕はない. もし金銭的な援助をしていただけるのであれば, いつでも人体実験をするので,ご希望の方はお早めに連絡をしていただきたい. そう,汗疱が治る前に...

私が買っていた AP は,そのほとんどをたったの 3店舗から買っていた. 肉屋A,肉屋B,魚屋Cである. Aが一番近くて,歩いて 5分くらい. BとCは少し遠くて,歩くと 20分くらいかかる. 今の住居にはもう 5年以上住んでいて, 最初のころは肉屋Aによく通った. だが,去年の冬か一昨年の秋か忘れたが, その頃からAに行くのを止めて,肉屋Bにばかり行った. AとBは綺麗さにおいて,驚くほど差がある. Aは見た目がとても不潔に見える. こんな汚い肉屋は今まで見たことがないほどだ. 例えばつり銭を渡すときに,肉の破片が硬貨にくっ付いてくるのが普通であった. こんな経験は後にも先にもAだけである. それに対して,肉屋Bは恐ろしいほど綺麗である. こんな綺麗なお肉屋さんはこれまで見たことがない. お釣りとか包装材に肉の切れッ端をサービスしてくれることもなかった. 産地についても,Aは全く表示なし. 国産か輸入かも無表示. Bはほとんど国産で,ほぼ全てに産地が表示してあった. 肝心の値段はあんまり変わらない. 文明の利器,自転車もある. Aにはなかったが,Bにはいつも空いている駐車場がある. そんなわけで,Bを発見して以来,Bにばかり通い出した.

あるとき転機が訪れた. ネット上で,爪を硬くしたいなら動物性タンパク質を摂ればよい, という記事を読んでしまったのだ. 爪の硬さが元に戻らないのを悩んでいたので,すぐに飛びついた. それまでの 2倍くらい肉と魚を食べるようになった. この時期はよく覚えていないのだが,去年の春か夏くらいだったと思う.

肉屋Aの向かいに八百屋がある. ここはなんでも安い. だから野菜のほとんどはここから買っていた. AP の量を増やすということは,最も安い豚肉を増やすことになり, そうなると毎回毎回Bまで買いに行くのが面倒になってきた. 八百屋と肉屋Bは,我が家から見ると反対方向にあるのだ. またAで肉を買い始めてしまったのである.

意識的に動物性タンパク質の影響を調べるようになったのは, 3月初旬からだったはず. AP を数日抜き,ヒビ割れが無くなったところで, AかBかCのいずれかを選び,あまり日数が経たないように 2回続けて買って, 早めに食べ終えるように心掛ける. これを3店舗で試したところ,明らかに肉屋Aで症状が悪化した. BとCも若干悪化はしたが,水疱と痒みが少々. ところが,肉屋Aの場合,まるで当然のようにヒビ割れが発生した. いろいろ今までのことを考えても,どうも肉屋Aが怪しい. 豚肉そのものに原因があるのか,あるいは解体後の処理に問題があるのか, それは分からない.

3月26日が肉屋Aで豚肉を買った最後の日となった. そのせいか,4月になってから,以前のように沢山のヒビ割れが発生することはなくなった. BとCからは引き続き買っているが,量は減らしている. というのは,BとCのものでも食べて数日後に水泡と痒みが出ることがあるからだ. 結局,AP は汗疱にあまりよろしくないということだろう.

Aの影響か確信は持てないが,他にも改善したことがあった. Aで豚肉を買うのを止めてから, 右膝の痛みと肩から二の腕の真中にかけての痛みが徐々に和らいでいったのだ. どちらも今ではほとんど痛みがない. 右膝の痛みに関しては,ジョギング中に右膝が痛くて中断した回数を示そう. 1回のジョギングで,約8km を約一時間かけて走る.
2008年1月は,12回走って中断はゼロ(0/12).
2月は 0/10,3月は 0/15,4月は 0/17,5月は 0/17,
6月は 0/17,7月は 0/12,8月は 3/10,9月は 0/7,
10月は 4/5,11月は 5/11,12月は 3/11 だった.
2009年は,1月が 1/3,2月は 5/11,3月は 4/4,
4月は 1/11,5月は 0/11,6月は 0/5 であった.
2008年8月から 2009年3月までの中断率が高いのが分かる. ちなみに,2008年7月15日と 2009年3月19日には,短期間ではあるが歩くのが困難になるほど, 膝が痛くなっている.

右肩の方は,9月の初旬頃から痛くなり,膝の痛みと同じようなタイミングで回復した. 痛かったときは,オーバースローで物を投げることができなかった. 素振りをするだけでも痛かった. 20代と30代の頃,気が狂ったようにテニスに夢中になったことがあり, 当然肩を痛めた事もあったが,こんなに痛くなかったし,痛みの感じも別物であった.

AP 自体が悪いのか,豚肉が悪いのか,それとも肉屋Aの豚肉が悪いのか, どれが悪いのか,正直言ってよく分からない. いろいろ考えてみると,肉屋Aが最も怪しいと思えるだけである. とりあえず AP を控えめにして,様子を見ていきたい.

AP 抜きのときの食事だが,最も活躍するのが梅干おにぎり. 我が汗疱には,これが最も優しいようである. お薦めする.

2009年の花粉症

2009年9月中旬. なにを今更という感じだが,一応報告. 今年の花粉症は,去年より悪く, 過去25年間の花粉症歴の中では軽い方だった. 汗疱も去年の方がマシだったから, 花粉症は汗疱次第ということかもしれない. 以上で報告終り. 報告が遅れたのは,結果が芳しくなかったからだろう,多分.

さて,話は変わるが,9月5日の読売新聞の記事の紹介.
「アミノ酸の製造・販売で,我が社は世界一です.」
「食肉消費量の世界的な増加を受け,特に家畜の飼料に使うアミノ酸の需要が伸びているからで, 中国勢や韓国勢と激しく戦っている最中です.」

これはある大企業の新社長のコメント. これまでアミノ酸に関しては大丈夫と思っていた生肉にも随分と混入していると考えた方がよさそうだ. 大会社の社長が自ら公言しているのだから,間違いないだろう.

さてさて,またまた話は飛ぶが,今年の春頃の飲み屋での出来事. 自分でお金を払わなかったので,飲み代がいくらだったのか分からないが, 安さを競うようなお店ではなかった. 年配の女性が 2人だけで切り盛りしていて,とても忙しそうだった. 場所は東京新橋. 刺身の盛り合わせが出てきた. 5 ~6種類の刺身が盛り付けてあった. 一つ食べてみたところ,とても旨かった. 旨みがあるというやつだ. 流石,築地に近いだけのことはある. 他の種類の刺身も食べてみた. これも旨い. 全種種類食べてみたが,全部旨かった. ただし,皆同じような味がした. マグロとハマチとイカとタイの刺身が同じ味と言うことがあるのだろうか? 一体どういうわけだろう. 化学調味料のお陰としか思えないのだが,真相は不明.

加工食品にはアミノ酸が入っていて当たり前なので, できるだけ生の素材を買ったり,食べるようにしてきたが, ナマだから化学調味料が入っていない,というわけではないようだ. 豚肉などは以前から抗生物質が入っているという話を何回も聞いたことがあるが, アミノ酸の場合は家畜の食べる量が桁違いに多いに違いない. この知見は今後の汗疱対策に生かしたい.



秋刀魚

2009年9月下旬. サンマの塩焼きは最も好きな食べ物の一つである. 毎年,沢山食べてきた. とは言っても,こうなったのは30歳を超えたあたりからだったろうか. 実家ではこの手の料理はやらないので, 居酒屋で食べて以来ハマッたのだ.

今年は,8月23日に 2尾,9月8日に 2尾,9月13日に 1尾買った. たったの 5尾. これは,サンマにハマッて以来最低の数だろう. サンマを食べると,12時間以内に手が痒くなり, 水が出るためだ. 今のようにベジタリアンに近い食事をしていて, たまに動物性タンパク質をまとめて食べると久々に汗疱が悪化するわけだから, 原因がサンマにあると考えるのが当然だろう. 症状は軽い. そんなに長引かないし,関節も痛くならない.

さて,去年の手帳を見てみよう. 2008年9月6日に 10尾,9月30日に 11尾, 北海道からクール宅急便で購入している. これは,さいたま市内で買うサンマは鮮度が低く, 内臓が不味くて食べれない為だ. 新鮮なサンマの内臓は最高に美味いと思う. 身よりも美味いと思う. 最近はそうでもないが,数年前まではそういう思いが強かった. もっと若いときは,骨まで丸ごと食べていたが, 近年止めている. 便が固くて,痛くなるのだ. 市内でも何回かは買っていたはずなので, 2008年の秋は,大体25尾くらいのサンマを食べたはずである.

2008年 秋の乱については,「プールの影響」に, 冬の乱については「肉と魚」に書いた. ここで訂正を込めてまとめておくと, 去年の秋に汗疱が悪化したのは, プールと豚肉とサンマの3つが大きな原因として考えられるということだ. その証拠に,今年は秋の乱がない. むしろ,極めてゆっくりだが,汗疱が改善しているように見える. 誇らしげに写真をお見せするほど良くなったわけではないのだが, 徐々に良くなっていると思う.



洗剤と炊飯器

2009年11月中旬. もう一ヶ月以上前のことだが, 食器洗い洗剤を待望の石鹸系に変えた. 合成洗剤の在庫がやっと無くなったのだ. もうビニール手袋はいらない. 素手で洗える. 汗疱にも悪影響はないようだ. ただ,ツルッと食器が滑りやすいのと, 若干汚れの落ちが若干劣るかもしれないが, まぁ完璧な許容範囲. 問題なし. 健康被害を考えれば,気にする方が馬鹿らしい.

炊飯器も変えてみた. それまでは,普通の電気炊飯器. 予約も保温もできるやつ. 変更後は,ただのお釜. 陶器とアルミと両方ある. ガスで炊くので,常に監視するのが面倒ではあるが, 味の方を優先してみた. 古くなったせいかもしれないが, 電気釜で炊いた米のプラスチック臭が気になったのだ. 特に保温の時間が長くなればなるのど臭いが酷くなる. たまには電気釜も使うかもしれないが, 主にお釜の方を使い続ける予定.

さて,上記の細かい変更のお陰とは思わないが, 汗疱の方は少しづつ良くなっている. ミカンの季節は追い風. そろそろ下山できるかもしれんと期待するこの頃.



汗疱対策食

2011年1月下旬. 今年最初の投稿は、汗疱対策食のご紹介. 完成写真をご覧になりたい方は、「写真」の「2011年1年31日」掲載分を参照のこと. まずは、各レシピのご紹介.

一つ目は、納豆とご飯.ただの納豆と米ではあるが、こだわりもある. まず、納豆に添付しているタレとカラシは使わない. ゴミ箱へ直行.代わりに、「 弓削多 有機しょうゆ 720ml」 を滴らす.勿論、納豆の原料である大豆は出来るだけ国産のものを選び、 最悪でも北米産まで.中国産の大豆だったら、買わない.納豆は食わない. 米は、合鴨米の五分づき.

二番目はおにぎり.見た目は普通だが、やはりこだわりがある. まず、米は合鴨米の五分づき. 海苔は有明産.日本産にこだわる.韓国産は買わない. 中身の具は梅干しで、知人から手作り品をいただいている. これは非常に恵まれていると思う. 近所のスーパーで売っている薬漬けのものとは質が違う.

三番目は、玄米雑炊.雑炊とは言っても、米と塩とトウガラシと水だけ. これを雑炊を呼んでよいものか、我ながら疑問である. 玄米は合鴨米.塩は、炭酸マグネシウム入りのサラサラしたものは使わない. 「あらしお 600G」 などをよく使う.安いくせに美味しい. トウガラシは、無農薬で育った国産品. 田舎の無人販売でまとめ買い. 近所では中国産しか売ってないが、絶対に買わない.

そして最後は赤飯.米はワンパターンだが、合鴨米の五分づき. 小豆は、国産無肥料自然栽培とうたっているものを使う. あと塩を振りかけるが、これはさっきと同じ. これは、弁当に最適.まぁそんな話はどうでもいいか.

さて、運用方法だが、皮膚の状態による. 重症の人は、まず3日間ほど対策食だけ食べてみることをお薦めする. それだけでも、改善が見られると思う. 肝心なことは、その間、他のものを食べないことである. 対策食はどんなに大食いしてもいいので、お菓子とか酒は止めなければいけない. サプリメントとかドラッグもストップ. 軽症の人は、3日間程度では効果が出ないはずなので、 長期に渡って対策食の比率を出来るだけ増やしていくのがよいと思う.

上記の件、実施にあたっては自己責任にてお願いします. いかなる副作用、機能障害が発生しても小生は責任を取りません. 野菜とか果物とか動物性たんぱく質も適度に摂取することをお薦めします. では、幸運を祈る!

灰色の絵の具

2011年5月。私にとって、汗疱の治療というのは、コップに入っている灰色の絵 の具を白くする作業のようなものだ。 それを説明するために、以下のことを前提としよう。

絵の具の入ったコップには白い絵の具と黒い絵の具を混ぜたものが入っていて、 合計 100 グラムのインクが入っている。 黒い絵の具は有害な物質で、黒の割合が多ければ多いほど、不健康な状態となる。 逆に、白ければ白いほど健康体である。 このコップのインクは、必ず 100 グラム以上、101 グラム以下に保たなければいけない。 コップの中の絵の具に対して許される作業は、 絵の具を継ぎ足すこと、掻き混ぜること、絵の具を取り出すこと、だけである。 絵の具を取り出す前には、必ず全体を掻き混ぜなくてはいけない。

さて、ルールは以上の通りだとすると、インクを白くするためには、 次のようにすることが最も最短となる。

白い絵の具を 1 グラムだけカップに継ぎ足し、全体を攪拌し、 1 グラム分の絵の具をカップから取り出す。

この作業を延々と繰り返すのが最善だろう。 もし、1 グラムよりも少ない絵の具を継ぎ足せば効率が落ちるし、 白以外の絵の具を入れてしまうと健康な色に近づけなくなってしまう。

汗疱の治療というのは、症状が悪ければ悪いほど、治癒のスピードは早い。 逆に言うと、症状が軽くなればなるほど、治癒のスピードが遅くなっていく。 コップの中のインクも同じだ。 例えば、黒い絵の具が 100 %、つまり真っ黒のところへ白い絵の具を 1 グラム入れて、 攪拌した後 1 グラム取り出すと、 たった 1 サイクルで黒の濃度を約 1 %も下げることができる。 (100-(100/101)*100) それに対して、カップの絵の具の黒の濃度が 10 %のときに同じように 1 サイクル実施してみても、 わずか約 0.1 %しか黒の濃度は下がらない。 (10-(10/101)*100) 黒の濃度が低くなればなるほど、1 サイクル当たりの効果が落ちてゆく。

皮膚病に限らず、病気というの軽い方が良いに決まっている。 だが、災いを転じて福となす、という諺通りのこともある。 汗疱の場合、症状が重いときの方が、治療法を見つけ易いのだ。 例えば、毎日飲んでいたお酒を止めてみる。 症状が重ければ、一週間で改善が実感できるはずが、 症状が軽ければ、三カ月間続けても症状の改善に気付かないかもしれない。

私の汗疱の治療に関しては、正しい治療法というのは、症状が軽くても重くても基本的に変わらないものだ。 症状が軽くなってくると、症状の改善が見られなくなるかもしれないが、正しい治療方法を継続することが大切だと思う。

症状が悪かったときに見つけた治療方法を忘れてはいけない。 治療のために、薬を塗ったり飲んだりすることは、白いインクの代わりに、 水色とか、黄色とか、ピンク色の絵の具を入れるようなものだろう。 黒とか灰色よりは綺麗に見えるので、最初の頃は効果があるように見えるかもしれない。 だが、この方法では永遠に白い健康体にはなれない。 灰色の代わりに、水色か黄色かピンク色に染まってしまうだけのこと。 自分にとって、何が白い絵の具なのか、それを見つけることが大切だと思う。 それが私にとっては、汗疱対策食だったわけだが、 それは人によって異なるかもしれないし、人類全てに共通なのかもしれない。



写真について

残念ながら,最も汗疱の症状が重かったときの写真はない. その第一の理由だが,デジタル一眼レフを購入したのが,2007年3月12日だったことであろう. この時点で,最悪の時期が過ぎてしまっていた. コンパクトタイプのデジタルカメラは以前から保有していたが, これでは精細な写真は撮れない.

二番目の理由を挙げるとすれば,自分で撮る気がなかったことであろう. 全く治る見込みがないときは,撮影する気も全然起きなかった. 治れば治るほど,撮影意欲が湧いてきた. それは,写真の出来具合からも明らかであろう. 心のどこかに,自分の醜い手を記録として残したくないという気持ちがあったのかもしれない. WEB 上で,私よりはるかに酷い皮膚病を写真で公開されている方が大勢いらっしゃるようだが, そういう方々には敬意を表したい.

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2007年3月12日 撮影

2007年3月12日の写真は,デジタル一眼を初めて購入した日のものである. 購入した嬉しさ半分,試し撮りをしたものだろう. この一枚しか残ってないのが非常に残念である. 実際の汗疱の状態は,写真で見えるものよりもはるかに悪かったように記憶している. 汗疱が,指をはみ出て,手の平の方まで拡がっていることで,症状が悪かったことが思い出される.

2007年10月6日 撮影

2007年10月6日の撮影は,汗疱の症状が緩和したため,撮影意欲が湧いてきたときのものである. 今(2008年1月)見ると随分酷い状態だが,当時は良くなったことを喜んでいた.

2007年12月8日 撮影

2007年12月8日の撮影は,症状がさらに改善し,その分撮影意欲が増し,撮影環境も整えて行った. その前のものよりもより鮮明な画像であるにも関わらず, 明らかに症状が改善していることが分かる.

2008年1月15日 撮影

2008年1月15日の写真は,爪の凸凹を撮った. 数ヵ月後にはなくなってしまうので,記念に撮影した. 爪が伸びるのは一ヶ月で約 1mm と言われるが, そうであれば,凹凸の最も大きい爪が発生したのは,約半年前ということになる. 皮膚の脱落が最も多かったのも,この頃だった. 爪の凹凸の近くは,爪が薄いようである. 厚みを計ったわけではなが,触ってみると他の部分よりも柔らかいし, 先端の方に近づくとささくれ易い.

2008年2月7日 撮影

2008年2月7日の写真は,前回(2007年12月)よりも症状が改善したので実施した. 特に左手の回復は目覚しく,一見汗疱が無くなったようにも見える. しかし,実際には若干残っていて,色艶とか微妙な浮腫みが正常なときとは異なる.

2008年5月24日 撮影

2008年5月24日の写真は,前回よりも若干改善したため実施した. 回復すればするほど,回復のスピードが遅くなるが, 最近は益々遅くなった. 最悪のときを思えば,悪化しないだけでも感謝するべきかもしれない. 写真では,左手の汗疱が消えたように見えるが, 実際には残っている. いつもの癖で,比較的状態が良いときに撮影会を行うので, 誤解を招くような現象を生み出すわけだが, この癖は直りそうもない. 汗疱の状態には波があり,悪いときには左手にも水泡が出たり, 痒くなったりする. ただ,大きな流れでは回復傾向にあることに間違いない.

2009年3月29日 撮影

2009年3月29日の写真は,動物性たんぱく質(AP)のテスト結果の一例である. 3月18日から AP を摂取しなかった効果で,3月22日にヒビ割れが消えた. 24日に 400g,26日に 300g の豚肉を肉屋A で購入し, 27日の晩飯までに全部食べ終えた. これは,これまでの食生活の中では,かなりハイペースである. 想定通り 26日からヒビ割れが出始めた. そのときの様子を撮ったこがこの写真である. 特に,右手の甲側にヒビ割れが多く見られる. 詳細は,雑記「肉と魚」を参照のこと.

2009年5月15日 撮影

2009年5月15日の写真は,動物性たんぱく質(AP)を摂取しないときの状態を記録するために撮影した. 3月29日から随分日数が経っているのは,ただ単に小生の怠慢のせいで, この状態まで回復するのにこれだけの日数を要したわけではない. これ以前にももっと良い状態のときは何回もあったのだが,撮影しなかっただけである. 恐らく,AP を摂取せず,自炊ばかりのときはこの写真よりももう少し綺麗な時の方が多いと思う. 詳細は,雑記「肉と魚」を参照のこと.

2010年2月7日 撮影

汗疱下山宣言の記念写真. よく見れば汗疱の残骸がほんの少し残っているが、 間もなく消えてしまう汗疱の最後の記念写真ということにしたい. 指の曲げ延ばしが不自由だった期間が数年間. 最も重傷のときは血と水を隠すために包帯を巻いていた. あのときは、指に何かが触れるだけで痛みが走った. 箸や鉛筆を持つだけでも痛かった. さらば汗疱…

2011年1月31日 掲載

経験的に汗疱を改善させる食事のご紹介. ただし、出来るだけ簡単に調理できるという条件付き. 別に調理が嫌いなわけでもないし、 調理が出来ないというわけでもない. もし毎日作るとなれば、簡単なものでないと現実的ではないし、 毎日食べるとなると、アッサリ系の味付けでないといけない。 という理由で4つを厳選してみた. もっと詳しいことを知りたい方は、「雑記」の「汗疱対策食」へゴーゥ!